OUSMANE AG MOSSA (TAMIKREST lead vocal & guitarist )

ウスマン・アグ・モサ(タミクレスト/トゥアレグ族)

ウスマン・アグ・モサは1985年、ティンザワテンというマリとアルジェリアの国境のサハラの村で生まれたアーティストである。小さい頃から、2000キロ離れたバマコ政権と自分のコミュニティであるトゥアレグとの内戦を体験している。トゥアレグは独特な言葉「タマシェック語」と名誉の掟「アシェック』を持つ遊牧民の戦士である。1963年以降、マリ北部のトゥアレグは彼らの先祖の土地「アザワド」の自治を求め、マリ軍による虐殺を受けている。フランスのNPOが支援する私立学校で、ウスマンはフランス語を覚え、卒業パーティで初めてギターを演奏した。だが、何年か後この学校をテーマにする曲を作ったウスマンは、当時音楽家になろうと思っていなかった。それより、彼はトゥアレグの権利を守る外交者や弁護士になりたかった。

2006年、トゥアレグの武装蜂起が再発し、学校も含め、故郷のティンザワテンがマリ軍に破壊される。ウスマンは国境の向こう側(アルジェリア)のタマンラセット市に亡命する。その頃、彼は武装蜂起に合流しようとするが、結局、音楽を武器に、トゥアレグの現状を世界に訴えることを決心する。80年代、「ティナリウェン」を形成した伝説のギタリストで元戦士のイブラヒム・アグ・アルハビブの人生と作曲のインスピレーションを受け、ウスマンは幼少からの友達と「タミクレスト」=結びというバンドを形成する。サハラの交差点である人口10万人のタマンラセット市で、タミクレストは結婚式や「イシュマール」(フランス語でショマール=失業者、並びにトゥアレグのギター音楽のジャンル)が集まるパーティ等でウスマンのオリジナル楽曲を演奏し、人気を広げる。

タミクレストは政治色の濃い詩に、ワールドミュージックという枠にとらわれず、マーク・ノプフレールやエリック・クラプトンの影響を受けたロックな音で急速に頭角をあらわす。2008年、ロバート・プラント等も集まるマリの国際的な「デザート・フェスティバル」に招かれたこのバンドはDirtmusicのミュージシャンとプロデューサーのクリス・エクマンに出会う。2010年、メンバーたちの故郷を囲むアダール・イフォラス山地の名前を持つ初アルバム「アダール」はバマコで録音され、ウスマンの学校を歌う「Aratane n Adagh」(アダールの子供達)のアコースティックがサハラでヒットとなり「Aicha」の官能的なロックでデビューする。​

Womexのベスト・レベールを連続で受賞したドイツのGlitterbeatにプロデュースされたタミクレストは2011年、ピンク・フロイドのようなサイケデリック曲「Dihad tedoun itran 」(星が落ちる時)も含む砂漠のガラージュとアフリカのブルーズが混ざり合うセカンド・アルバム「Toumastin」をリリースする。2013年、ワード・ミュージック​・ヨーロッパ・チャートの一位になったトゥアレグの女性に捧げる「Chatma」で注目され、2014年にSonglines Music Awardsのベスト・バンドを受賞する。だが、このアルバムがリリースされる時、マリ戦争が勃発し、アザワド地方はカオスに陥る。その時、故郷から遠いブラハ(チェコ)で録音された「Chatma」はテロ組織が侵入したトゥアレグ族のサハラ砂漠についての思いがこもったものだ。

2013年、日本人が処刑されたアルジェリア人質事件後、ロンドンのTBSにインタビューされたウスマンは率直にこう述べた:「貧しいトゥアレグの地域に入り込んだテロ組織をマリ政府も国際組織も放置してきた」。タミクレストはジゲットフェス、ロスキルド、ヲマード等というヨーロッパのもっとも有名な音楽祭やアメリカでワールドツアーを行った後、活動を休止。2015年からウスマンは故郷に帰り、砂漠で作曲することを決める。同年、トゥアレグ族の音楽を撮影するアルジェリア人の監督が「僕の故郷、ティンザ」というウスマンが主人公になっているドキュメンタリーを作成する。2017年、アザワドの代表的な町の名前を持つ新アルバム「Kidal」(キダル)がリリースされる。ウェスターン映画のような「Mawarniha Tartit」から反乱を呼びかける穏やかなアコースティック曲「Tanakra」 等という新鮮な音を紹介した新作はサハラ砂漠よりさらに遠く誘う旅だ。

偶然にも、タミクレストは同年microActionに招かれて、未知の世界の日本にツアーすることになった。日本に魅せられたタミクレストは橋の下世界音楽祭で出会う日本人のアーティストOKI(OKI dub ainnu band)、などと新しいコラボレーションを考え、日本で次のアルバムの一部を作曲することを決める。そして今年、ウスマンはこのプロジェクトを実現するために、一人で日本に戻り、ソロ・ライブも行う。「僕にとっては、日本は新しい音源を生み出せる「月の裏側」のようだ」と述べるウスマンがトゥアレグ族の独特なギターを演奏しながら、日本人を「砂丘の裏側」の遠いサハラ砂漠へ誘う。